昨日は、以前からお知り合いの方が、わざわざ名古屋から京都の宇治まで、ゼロ氣功セッションを受けに来ていただけました。
2年半、表で活動はしていませんでしたし、ましてや、新しい活動は、以前の舞の講師とは違い、
正直何をするのかはまだ(誰も)よくわからない状況だったと思います(笑)。
それでも、始めてからこんなにすぐにご予約いただいたので、とても嬉しい気持ちを抱きながらも、
「でも、どうして、このゼロ氣功セッションを受けようと思われたのですか?」
という素直な疑問を聞かせていただきました。
その答えは、新しい活動を始めたばかりの私には、とても予想外の答えでした。
それは、ゼロ氣功というカテゴリーの方に興味をもったのではなく、
《新しくなった私が、何をするのか。そして、新しくなった私と出会って、自分がどう変化するのかとてもワクワクしたのですぐに申し込みました!》
と伝えていただいたからです。
この言葉には、内心すごく驚きました。
それは、私は何か違うところばかりを見ていたことに気づかされたからです。
私がその言葉を受け取る以前は、
「相手に何を伝えるのか」
「相手と何をセッションするのか」
「相手の何を良くするのか」
という目の前の世界に対してどう対応するかを見ていました。
それももちろん、とても大切な事です。
しかし、この言葉を伝えていただいた時、
目の前の世界に対応する〈自分〉ではなく、その自分を支える《存在》にこそ、私が誰かの背中を押せる全てが結晶化されていて、
その結晶化されたもの自体に、人は出会いの価値を感じてくれていたんだなと、ハッとしました。
それは、テクニックや肩書や知識ではない、
「自分の《存在》に価値があること」
を自分自身でも気づかせていただいた貴重な瞬間でした。
この自分の《存在》の価値は、自分で意識するレベルだけで捉えれる領域ではないのかもしれません。
もし、仮に自分で意識するレベルだけで捉えたのなら、
それは、結局、
「目の前の世界に対応する〈自分〉」の枠に入ってしまう可能性があるからです。
(知らないうちに!)
この《存在》を例えるとするなら、それは、水面の波紋に近いかもしれません。
波紋は波紋自体で生まれることも広がることもできず、
そこには、水面と落ちてくる何かが必要になります。
水面に何かが落ちてくることで、波紋は副産物的に生まれますが、それは水面よりも、落ちたものよりも、周りの人の心を惹きつけます。
この時、
水面が〈自分〉であり、
そして、《存在》という波紋を生み出す為に、水面に落ちてくるものは、
テクニックや知識ではなく【生き方】なのかもしれません。
つまり、自分の《存在》の価値に気づくために意識できる所は、自分の【生き方】のように思います。
(もっと言うと【生き方の”動機”】かもしれないのですが、長くなるのでまた別の時に)
昨日、この言葉を伝えていただいて、
何をするかではなく、
自分の《存在》の価値と、相手の方の《存在》の価値とのセッションにしっかり意識が向いた時、
自分のいままでの生き方、現在の生き方、そして、これからの生き方が、誰かの背中を押したり、誰かの変化の小さなきっかけになれたら、
そんな【生き方】自体が誰かをサポートできる活動になることが、私がこれから本当に始めていきたいことだと実感しました。
(といっても、まだまだ師から叱られてばかりなので、さらに【生き方】を磨いていきたいと思います。)
このコロナの影響から、今は世界中で【生き方】が問われるタイミングのように思います。
しかし、【生き方】が問われるタイミングだからこそ、【生き方】を変えることができる機会でもあります。
私も含め、一人一人が、美しい波紋を広げていく【生き方】に変化していくことを信じています。







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