人生に立ちふさがる、大きな壁の正体とは?

先日は、2年ぶりに、北海道、《トムラウシ》に行っていました。




私にとって、いつも《トムラウシ》では、

目の前に、自分では手も足も出ないような大きな壁が現れるのですが、

奥深いトムラウシの自然の力のお陰で、

最後には《見ることのできなかった自分自身》に気づかせてもらえています。



この人生に現れる大きな壁の働きのことを、

昔の人は観察し洞察することで、その本質を見抜こうとしてきました。



道教では、この立ちふさがる大きな壁を「天劫(てんこう)」と言います。


「天劫(てんこう)」とは、修行として天から与えられる罰や災いのことで、

不老長寿の仙人、またはその上の神仙とよばれる存在になるためには、

天から与えられる罰や災いを乗り越えていく、この「天劫(てんこう)」が必要とされています。

そして天劫は一度きりのものではなく、多ければ多いほど境界も高くなり、法力も強くなると言われています。




また、キリスト教では、「試練」という言葉で、この立ちふさがる大きな壁を言い表しています。

印象的な言葉は、使徒であるパウロの「コリント人への第一の手紙10章13節」で、


「神は、あなたがたが耐え得ないような仕方で試練に会うようにはせず、

むしろあなたがたが、試練に耐えることができるために、試練とともに《出口》をも造って下さるであろう。」

という言葉があります。



道教の「天劫(てんこう)」も、キリスト教の「試練」も、どちらも共通していることは、


天や神は、人生の大きな壁と共に、それを乗り越える力や出口をきちんと用意してくださっているということです。


この理解は、数えきれないほどの人の人生から生み出された洞察だと思うのですが、

しかし、自分自身がこの人生の壁に出会うとき、

無意識に探すのは、乗り越える力でも出口でもなく、〈逃げ道〉です。


私自身も、何度も〈逃げ道〉を探した経験があるので、〈逃げ道〉を否定するつもりは全くなく、〈逃げ道〉を選択しなければならない場面も人生には訪れると思っています。



ただ、この〈逃げ道〉が少なからず厄介なのは、

人生に現れる大きな壁を、「天劫(てんこう)」でもなく、パウロの「試練」でもない、

ただの《災難のまま》で終わらせてしまう、ということです。


何度も言いますが、〈逃げ道〉を知ることは必要だと思います。

しかし、〈逃げ道〉ばかりだと、人間はなぜだか真の幸福を感じれません。

やはり、人間は生命という動物的なシステムだけではなく、高次の精神的なシステムとのハイブリットのように思えます。



この人生の大きな壁を、「天劫(てんこう)」や「試練」へと導くには、

〈逃げ道〉に向かっていく自分の無意識を観察しながら、

無意識を超えた【超自我】への切望を奮い立たせる必要があると思います。


しかし、どうやって無意識を超えた【超自我】への切望を奮い立たせるのでしょうか?

ここを、さらに深く観察してみると、人生の壁に直面すると、自分の内側には、恐れが発動することが見えてきます。


その恐れの荒波を見て、痛みを避けるために〈逃げ道〉へとあきらめてしまうのではなく、

乗り越える力や試練の出口に向かうのは、かっこ悪くても、まずはもがいてみるしかありません。



正解のないこの世界に、誰もが内面ではもがきながら生きていると思うのですが、

もがく姿というのは、他人の目や、他人の目を気にする自分の目からは、大変惨めに映ります。


この惨めさは、「完璧を求める」自分のプライドを傷つけます。


しかし、客観的な事実として、自分がもがく姿は、なぜか周りの人を勇気づけたり、何か大切な気づきを与えたり、または、周りの人から予想を超えた愛を与えてもらえたりします。



ただ、それは、客観的な事実であって、主観的な世界では、惨めな姿は、世界が終わったように感じてしまうものです。


結果的に、その主観的な世界だけを見て、もがくことを避けてしまう一番の苦しみは、

自分を隠す方法ばかりを身に付けてしまうことです。


惨めさや恥を隠すために、自然なもがくことを避け続けると、

「天劫(てんこう)」や「試練」に内在されている、乗り越える力や出口は見つからず、

その人の人生は、いつの間にか、自分に対しての隠しごとで一杯になってしまいます。


(これは自分の経験から話しています・・・)



そして、そのうち隠している自分の姿が当たり前の自分になってしまい、

自分が何を隠してしまったのかさえ、もうわからなくなっていきます。



(何度も言いますが私もその一人です・・・)


しかし、人生の大きな壁には、乗り越える力や出口が、初めは全く見えなくとも、どこかに用意されている可能性があるはずです。


今回のトムラウシで自分が経験したことを振り返ると、


壁を乗り越える力や試練の出口が見つかる瞬間には、

何を隠してしまったのかさえ分からなくなった自分が、その隠してしまったものを、自分の内側で見つけた瞬間と同時に!!やってきます。



つまり、人生に現れる大きな壁の出口は、壁の側にあるのではなく、自分自身の内側にあったということです。



この経験から気づいたことは、

「天劫(てんこう)」や「試練」は、

《自分自身の真実》を知らせてくれるもので、

時には〈逃げ道〉を選択することも必要ですが、

それは、ココという絶対的な瞬間には、〈逃げ道〉を選択しないためのものだと思います。


今の時代、このコロナによる大きな壁は、

いつの間にか隠してしまい、何を隠したのかさえ分からなくなっていた自分自身を知るための、

「天劫(てんこう)」や「試練」になる可能性もあるのではないかと思います。


こうして、ブログを書くと、何か全てわかったような人のように書いてしまっているかもしれませんが、

私は、まだまだ未熟な修行の身で、

しかし、このタイミングでもう一歩、自分の奥深くの隠し事に気づけたことで出口が見えた、

そして、それは自分だけではなく、

同じギリギリのところで、もがくか、あきらめるかに右往左往している方がいるのではないかと思い、

今回のトムラウシの気づきを書いてみました。

また、次のトムラウシも、さらに一歩、「天劫(てんこう)」や「試練」を乗り越えて成長できたらと思います。

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