
【グル・ニマ・ヴォゼル・ルクプ】(ザンスカール)での探究
zeromind(ゼロマインド)は、私が今回の人生で出会わさせていただいた、シャーマニズムの経験、舞踊の世界の経験、チベット・インドをはじめ、世界での探究の旅の経験、そして、今現在、kan.師から学び続けているTaoの経験から生まれています。
その中でも、自分にとって、zeromind(ゼロマインド)の大きな種となったのは、ザンスカールというチベット高原地域での経験です。
このザンスカールにて、ンガワン・ツェリンというチベット僧に学び、最後に、山奥に佇む瞑想洞窟、グル・ニマ・ヴォゼル・ルクプ(ゾン・バオ)にて、たった一人での8日間の断食瞑想に導かれました。
「*グル・ニマ・ヴォゼルとは、チベットの聖者、グル・リンポチェのヨギーとしての名前。この洞窟は、グル・リンポチェが修行した場所。*」
誰からも隠れるように、1000年以上佇むこの瞑想洞窟を見た時には、これからここでの8日間の断食瞑想修行という現実に、初めて死の恐怖を感じたのを鮮明に覚えています。
しかし、この8日間の瞑想修行が、今、こうして瞑想をお伝えしている道を開いていただけました。
いつか、zeromind(ゼロマインド)を学んでくださっている方と一緒に、感謝をこめて訪れたいなと思っています。
(kaky YouTube:ザンスカールへの道 ダラン・ドゥルク氷河(標高4,401m)の映像↓)
(kaky YouTube:8日間の断食瞑想洞窟 グル・ニマ・ヴォゼル・ルクプ (ザンスカール)の映像↓↓)
(kaky YouTube:1か月滞在していたサニ・ゴンパ(ザンスカール)の映像↓↓↓↓)
【アルナーチャラ】(インド)での探究
生きる時代が違っても、私の探究に深く影響を与えてくれた恩師がいます。
チベットの聖者 グル・リンポチェと、コーカサスの神秘家 G.I.グルジェフ、そして、真我探究の道を説く覚者 ラマナ・マハルシです。

ラマナ・マハルシは、ヒンズー教で「シヴァのハート」と言われる聖山アルナーチャラで、探究の生涯を送りました。
私もラマナの痕跡を学ぶべく、現在の、アルナーチャラの麓にあるラマナ・マハルシのアシュラムではなく、ラマナが42歳までアルナーチャラの山の中で暮らしたのと同じく、今もアルナーチャラの山の中で修行するサドゥー(修行者)達と一緒に暮らさせてもらいました。
アルナーチャラの山の中で暮らしてみると、ラマナ・マハルシは、本で読むような、ずっと座って瞑想していたのではなく、アルナーチャラでの暮らしにより、身体を使って瞑想していたのが身に染みてわかってきました。
それほど、アルナーチャラの山は、使っていない身体では暮らすことも瞑想もできない、険しく熱い岩山です。
私が、zeromind(ゼロマインド)瞑想に身体も重視するのは、このリアルなラマナ・マハルシの痕跡との出会いと、アルナーチャラでの学びから来ています。
(kaky YouTube:ラマナ・マハルシ アルナーチャラ・山頂よりの映像↓↓↓)
【オストログ修道院】(モンテネグロ)での探究
キリスト教の教会は世界中にありますが、特に上記の〈グル・ニマ・ヴォゼル・ルクプ〉や〈アルナーチャラ〉と同じく、探究の世界へと導かれたのは、モンテネグロにある洞窟教会、オストログ修道院でした。
キリスト教にはカトリック、プロテスタント、正教会という3つの教派があり、オストログ修道院は正教会に属しています。
私を受け入れてくれて、このオストログ修道院で寝泊まりさせてもらいながら過ごした祈りの数日間は、時間というものがそもそも私たちを絶対的に縛るものではなく、私たちは時間と対峙することでしか、時間が決して教えることのない”永遠”を知ることはできない、そんな精神的な時間と向き合う日々でした。

朝、日が昇るかなり前から、ミサ(儀式)が用意されます。
ミサの場所は、初めてこの洞窟で祈りに全てを捧げたマスター、聖ヴァシリエがミイラとなって今も眠っている小さな洞窟の中です。
5,6人しか入れないこの小さな聖ヴァシリエの眠る洞窟で、キリスト教の伝統である、フランキンセンスの煙が前も見えなくなるほど焚かれます。
真っ暗な地球に、聞いたことのないリズムで鐘が鳴らされ、人を物質次元から精神次元に誘う、不思議な旋律の祈りが2時間近く続いていきます。
そして、ミイラで眠る、聖ヴァシリエとともに、洞窟の中で、この儀式の時間を祈りに捧げます。
それは、永遠となった聖ヴァシリエと、時間に支配された私たちの交流であり、そこに私たちはどこから生まれてどこに還っていくのかの交流が確かに生まれてきます。
祈りの終わりとともに、参列者は、永遠となった聖ヴァシリエと一人一人口づけを交わし、洞窟の外に出ていきます。
すでに、この岩山に佇むオストログ修道院にも太陽からの光があたっており、世界は暗闇から、時間が生み出す色鮮やかな命に満ちています。
その時、ふと、私たちの祈りとは、時間の内での世界に向けるのではなく、”永遠”という、私たちが何故か知っているが、どこにあるのかがわからない、その〈秘密〉に届かせようとしているのだと教えられた気がしたのを、今もはっきりと覚えています。
(kaky YouTube:聖ヴァシリエのミイラを祀る オストログ修道院(モンテネグロ)の映像↓↓↓)




